TTRPGあれこれ (1)演じるということ

TTRPGのマスターを始めて20年近くたつ。TTRPGというのは、けっこう日本人にはなじみ難いようにも思うがそうなのだろうか。そのあたりのことをつらつらと書いてみようと思う。

そもそもTTRPGはゲームである。ゲームである以上何かを楽しむものである。一般のゲームは、勝ち負けを目指してその過程を楽しむものであるが、TTRPGは勝ち負けというものがそもそもない。

日本では、TTRPGがはやる前にウィザードリやドラクエといったコンピュータRPG(以下CRPG)が流行ったため、この基本的な部分が大きく勘違いされている。CRPGはゲームのシナリオをクリアし、世界を救ったり、英雄になったりするゲームである。そこには完全にデジタルな目標が存在し、達成したか(勝ち)達成できなかったか(負け)という勝ち負けが存在する。そして、プレイヤーの役目はキャラクターを操作し、キャラクターを勝たせるのが目的となっている。すなわち、そこには役割を演じる(RoleをPlay)というものはないのだ。

これはCRPGとTTRPGのどっちが良いというものではなく、それぞれが別の遊びだということである。問題なのは、CRPGの感覚でTTRPGをやるときに発生する。すなわちチェスのルールで、将棋をやるようなものなのだ。

TTRPGとは何かというのは難しい。一言で言ってしまえばマスター次第とも言えるように思う。マスターが何を指向しているかでそのゲームの方向性に大きな影響を与えてしまう。そういう「ごっこ遊び」なのだ。私は小さいとき、よくごっこ遊びをした。仮面ライダーごっこ。ウルトラマンごっこ、ゴレンジャーごっこ...。大事なことはなりきること。これはTTRPGもいっしょだ。プレイヤーはキャラクターを演じなければならない。そこには台本というものも、演出家もいない。全て自作自演。ただし観客はいる。他のプレイヤーやマスターだ。そして、演じると状況が変化する。どのような状況になるかはマスターですら全ては予想できない。出たとこ勝負のJAZZセッションのようなものだ。

アドリブ、演技、セリフまわしといったことをプレイヤーはやらなければならない。(無論マスターも)これは結構敷居が高いように思われがちだ。そのため、思いっきりプレイヤー自信がゲームの世界にいるようなプレイヤーが実際TTRPGには多い。

しかし、これは大きな間違いだと思う。TTRPGは本来簡単なゲームだ。マスター以外は幼稚園程度でも可能だ。だって幼稚園なら、もう「ごっこ遊び」は出来るのだから。

プレイヤーでルールに精通したがる人がいる。これは無駄だ。プレイヤーはルールなど覚える必要は無い。理由は、ルール的にどうであるかなど、意味が無いからだ。少なくてもキャラクターはルールなど知らない。やりたいことをやる。それがまず、TTRPGの基本だ。プレイヤーがやらなければならないことは、その世界観を把握することだ。

「トラベラー」の世界観では、非常に武器は強く、人間はもろい。恐らく普通に戦闘をすると、一番死人が出やすい世界観だろう。リアルSFとでも言うべきか。その逆に「ルールザワールド」とか「007」は死ににくい。これはスーパーヒーローの世界観であるからだ。 そういうことぐらいは把握しておいた方が良い。そしてそういう世界観はマスターがプレイヤーに最初に与えておけば良い情報だ。実際はその程度でよい。

プレイヤーはキャラクターに専念しないといけない。キャラクターの役作りをちゃんとしないとプレイしづらい。特に難しいのはそこそこ基本能力が平均して高く、個性のないキャラは難しい。CRPGでは定番なキャラだが、TTRPGでは圧倒的にプレイしづらいのだ。TTRPGの能力値というのは、個性を現している。得意なもの、不得意なもの、教養、年齢、性格、見栄えのようなものを現している。そこからキャラの個性を見つけ出すきっかけなのである。それが特徴が無いという事態になったら、なんの助けもかりずに、キャラクターの特徴を自ら作り上げなくてはならないのだ。

演じるのが苦手な人は、できるだけ自分とは違ったキャラにするのも一つの手だ。まじめな人は不真面目なキャラ。冷静な人は、短気なキャラ。男性なら女性をやるのもいい。人間以外というのもいい。種族の特徴は設定として用意されているからだ。それをやるだけでも、思いっきり違った役ができる。そのほうがなりきりやすいと思う。

いかに、プレイヤーをゲームの世界から消して、キャラクターだけにするかが、TTRPGを楽しむ秘訣だと思う。少なくとも私がマスターをする限りにおいてはそうだ。

だいたい、私が今やっている「クトゥルフの呼び声」のシナリオはひどい。シナリオをクリアするという明確な目的が設定されていない。シナリオの終わり方が基本的には明示されていないのだ。「どうにかして、探索者の一行をこの地から逃げ出させてください。例えば暴徒の群れに襲われるのもよいでしょう」なんて平気で書いてある。おまけに、メインのイベントをしないで、次のシナリオに行っても良い。それでも話はつながるようになっている。(そして、その謎はもう明らかにされない)そんなシナリオなのだ。CRPGのようなハッピーエンドになるのは、もう奇跡みたいな確率だ。たくさんの謎を残したまま終わる可能性もけっこう高い。 しかし、それは仕方が無いのだ。全てのプロットを生かせるとは限らない。なぜならストーリーはマスターが作るのではないからだ。みんな(マスターも含む)でストーリーを作っているのだから。

などと思う今日この頃である。

ここまで書いて最初のテーマについて書いていないことに気がついた(W さて、日本人にはなぜなじまないのだろうか。基本的にはシャイな人がおおいのではないだろうかと思っている。小劇場の舞台なんか見ていると、最初、世界に入り込む前にセリフを聞いているとちょっと恥ずかしいと私なんかは思う。役作りして大げさなアクションをしてセリフを言うことが恥ずかしいのだ。

この恥ずかしいという気持ちが、どうもプレイの邪魔をしているように思う。このあたりが欧米人の方が上手いのだろうか。(根拠ないけど)照れがあると、つい軽くふざけてやってしまう。すなわち、キャラではなく、プレイヤーの立場でしゃべってしまうのだ。こういう人がパーティーに一人いるとしらけるのである。しらけるとのめりこめないので、みんな素で話す。どんどんキャラではなく、プレイヤーとしての会話を始める。 そうなるとマスターはつらい。

マスターは唯一決められた「セリフ」があるプレイヤーなのだ。一人だけ少女の役や爺さん、悪役をプレイして、他のプレイヤーが冷静にプレイヤーとして話す。これはもう恥ずかしがりやの私としては拷問である(W

これに対処するにはみんなで役を極力演じ続けなければ鳴らないと思う。一瞬の脱落はしかたないが、みんなで演じ続けてこそ、TTRPGは成立するのではないかと思っている。